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心臓が鳴っているシングルマザーと聞いて、あなたは一体何を思い浮かべるだろうか。【親友がシングルマザーのこども】

春野 たんぽぽさんのコラム

苦しみや痛みを自分自身でつくるときがある。苦しみや痛みはベルトコンベアーでいくらでも運ばれてくる。製造者も自分、心の中に梱包するのも自分。そうやってどんどん動けなくなっていく。
だけどその苦しみや痛みをつくれと命令してきたのはやはり他者だ。それは些細なことで、すり傷にもならないはずの傷。それなのに今やその傷は、膿んでぐじゅぐじゅになっている。
加害者と被害者。どっちの役割も担えるこの世界で、どうして加害者ばかりが強者なのだろうか。
シングルマザーと聞いて、あなたは一体何を思い浮かべるだろうか。
私は何年か前まで世間が所謂「田舎」と呼ぶ地域にいた。私はそのいい意味でも悪い意味でも閉塞された空間で育った。
私の小学校のときの親友にTちゃんという子がいた。Tちゃんの両親はTちゃんが小学校2年生のときに離婚してTちゃんはお母さんに引き取られた。
Tちゃんのお母さんの顔はよく覚えていないが、おしゃれな人だったということだけは覚えている。そして、Tちゃんのお母さんにはよく付き合っているとされる男の人との噂も付き纏って思い出される。
Tちゃんのお母さんの交際相手は所謂「ママ友」の間で幾人もの男の人に変わっていった。その噂が事実っだったのかどうなのかは分からない。時折その噂は、Tちゃんの前でもされた。
夫と妻。ただその関係性があるだけで、人はなぜか有利に立っていると勘違いするらしい。「ママ友たち」はTちゃんのお母さんを「自由でいいわね」と言いながらどこかで見下していた。そんな風に私には見えた。
Tちゃんが遠くの町に引っ越して、最初のうちは続いていた文通も途絶えて、私とTちゃんはまったくの知らない人になった。
私は年齢を重ねて、いつの間にか30歳近くになり、あの頃とは顔つきも変わった。子どももいないし、結婚もしていない。
あの頃に戻りたいとも思わないし、Tちゃんが大人の好機の目に晒されているとき、私にできたことなど何もないとも思っている。
だが、今、は、どうだろう。

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この連載の著者

  • 春野 たんぽぽ

    詩人。
    2020年12月第一詩集「赤い表札」刊行