ファイナンシャルプランナー波柴純子さんが聴く〜シングルマザーの仕事と子育て〜旅するコンフィチュールの違さん【前編】
この対談のメンバー
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波柴 純子さん
子供が3歳の時にシングルマザーとなり、お金の不安がきっかけでファイナンシャル・プランニングに関心を持…詳細はこちら -
違 克美さん
素材の美味しさを際立たせるためにこれまで培ってきたフランス菓子の考え方や技術を活かし、 神奈川県産・…詳細はこちら
目次
- 2016-12-17第1回 旅するコンフィチュールの違さん【前編】
- 2016-12-26第2回 旅するコンフィチュールの違さん【後編】
旅するコンフィチュールの違さん×ファイナンシャルプランナー波柴さん【前編】
違 克美さんのプロフィール
素材の美味しさを際立たせるためにこれまで培ってきたフランス菓子の考え方や技術を活かし、 神奈川県産・横浜市内産の果物や野菜を使ったものを中心に生産者さんから直接仕入れ添加物を一切使用せずにコンフィチュールを作る『旅するコンフィチュール』を運営している。
2003年 ル・コルドンブルーにて製菓ディプロム取得。これに前後して5年半のアメリカ生活、数度に渡るパリ、ベルギー滞在時に食に関する知識と経験を深め、現地で素材を調達し現地でコンフィチュールをつくる試みなども重ねる。フランス菓子、コンフィチュールを求め、フランス全土を旅したことが「旅するコンフィチュール」の名前の由来のひとつにもなっている。
その後、パティスリー勤務やショコラショップ勤務を経て、2010年にカフェの立ち上げに関わり、メニュー企画、店舗運営マネジメント、スタッフ育成、現場での調理、接客と3年間店の運営を経験。
2013年、自主事業『旅するコンフィチュール』をスタート。
横浜の地産地消に取り組む『はまふぅどコンシェルジュ』『濱の料理人』のメンバーでもある。
パーティ・イベントへのケータリング、料理教室などの他、小学校から大学までの児童や学生への講演、トークショーでのスピーカーなども務める。
波柴さんのプロフィール
Cras-i design(クラシデザイン)のファイナンシャル・プランナー として、シングルマザーや起業家など、本気で自立したい女性を対象に、個別相談・講演・執筆 活動を行う。
週6日働いて、週1日勉強の日々
- 現在お子さんの年齢はおいくつですか?
- 高校2年生の女の子で17歳です。
- 離婚されたときは?
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そのときは小学5年生でした。
私はリフォーム会社で週3日のパートをしていました。
離婚するにあたって安定できるよう正社員を目指していたものの、リーマンショックの影響で残業や休日出勤が増えていき、これでは子育てと両立が出来ないと転職を考えるようになりました。
娘の中学受験を控えていたので、本格的な転職の前にまずはパートにプラスして仕事を増やそうと探していたところ、近くで週2日のカフェの募集があって、しかもただのカフェではなく女性の就労支援のカフェだったんです。自分が離婚でとても苦労をしたので、若い女性たちの助けになれるならと思って応募したら、実はたった一人で立ち上げから全部やるという事業まるごと受託でした。
- 受託業務自体が初めてで、引き受けてみたらカフェの運営と就労のサポートという2重のお仕事だったわけです。始めたら全然帰れなくて、娘も塾に預けっぱなし。受験までは急激な生活の変化を避けたはずが、結局忙しくなり自分もクタクタ。さらにカフェの仕事が週3、4日と増えてきて休みも取れないし、ご飯を食べる時間もない、子育ても人に頼れず、全然余裕がなくなり行き詰まったんです。
- 肉体的にも精神的にも限界という感じ?
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まさにそうです。
娘も目に見えて成績が下がっちゃって、12月の時点で行ける学校がないと言われました。これはもうまずいと思い、リフォーム会社の方を休職してお仕事はカフェだけにして、つきっきりで二人で部屋にこもって1ヶ月半勉強しました。
そうしたらどんどんできるようになって元々の志望校に受かりました。
- ホッ!よかったですね。
- 受験が終わってからは、もうダブルワークはできない、体が持たないと思い、リフォーム会社をそのまま辞めました。
- 辞めるときは、不安になりませんでした?
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なりました。この先どうなっちゃうかなって。
カフェの方はやりがいはあるけれど、元々週3回のパートと養育費でなんとか生活できていたところにプラスαのつもりで、半分ボランティアみたいなものだったのです。でも週6日働いて、週1日(カフェの事業の為の)勉強に時間をあてていたので、次のお仕事をするための準備時間が全くなくて。
休職し受験が終わり、時間ができたタイミングで、次に行く準備をしなくちゃいけない、もうダブルワークに戻るのはやめようと思いました。
幸い、カフェの仕事をしていたことで、食関係の知り合いが増えていて、フリーのお仕事をいただいたり、その頃横浜で流行り始めたマルシェのイベントに参加することが増えました。コンフィチュールを作って出店を続けているうちにやりがいや手応えを感じ、これをお仕事にしようと決意したとき、協力してくれる方々の顔がたくさん浮かんだんです。
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実はまだ娘が小さい頃にも家でよくジャムを作っていて、「ママ、ジャム屋さんになったらいいのに」って言われていたんです。
そのときは、どうやったらなれるかもわからないし、現実的に考えられなかった。でもカフェの立ち上げに関わったおかげで、具体的な方法やお金もこれくらいかかるだろうなっていうのも自分の中でイメージも出来るようになっていたのです。
- 小さいときの思い出も、ハードな経験も、ここですべて繋がったわけですね!
- 自然な流れでそういう選択肢が自分の中に入ってきたんです。 本格的に自分で飲食をやる場合、保健所の許可のある施設を持たないと始められないので、横浜の関内に部屋を借りキッチンに改装することにしました。
- となると、固定費やリフォームの費用がかかってくるわけですよね。
- 確かにお金がかかるけれど、働かなきゃいけないし年齢的にも若くないし、1、2年先延ばししていても何も変わらない。体も壊して病院通いをしていたので、とにかく何か変えなくちゃいけない、そう思ったらやるしかなくて、やらないっていう選択肢は自分の中でなかったです。
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